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推論の誤り

 

ベック博士が提唱する10種類の「推論の誤り」

私たちは、認知バイアスというフィルターを介して、様々自動思考を生み出します。

ですが、それら自動思考が非常に偏ってしまって日常に弊害を及ぼしてしまうことがあり、その様な自動思考(認知)は、「非適応認知」に繋がってしまいます。

 

そして、辛い気分を生み出す自動思考には特有のパターンが指摘されており、それらは「推論の誤り」と呼ばれます。

 

この「推論の誤り」は認知行動療法に精通しているベック博士が提唱したものです。

推論の誤りを特定できるようになると、自分の自動思考にゆがみがないか、ある場合はどんな推論の誤りをしているか、徐々に理解できるようになってきます。

 

このカテゴリーでは、ベック博士が提唱する10種類の「推論の誤り」を具体例とともに記載していきます。

※10種類の推論の誤りは、似たり寄ったりで「いちいち区別しなくても良いのでは?」と思われるものも多々ありますが、このカテゴリーを通して「厳密な分類」というよりは、「様々な推論の誤りがあるのだ」とザックリと捉えて頂ければ、それだけで自動思考(認知)への理解が深まると思います。

 

 

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全か無か法則

物事を「全か無か」「白か黒か」と極端にとらえてしまうような二者択一的な思考を指します。


「完璧にこなせないなら価値がない、無意味だ」など捉えてしまうこともあり、稀にうまくいかなかっただけでも自分を責めて辛い気分になってしまう場合があります。

状況:

私の手料理に夫は満足してくれていたのに、今日の料理は「ちょっと味が濃い」と満足してもらえなかった。

認知:

私の評価は失墜してしまった。頑張って作る意欲が無くなってしまった。

 

状況:

無遅刻無欠席で通していたのに、寝坊して仕事に遅刻してしまった。

認知:

無遅刻無欠席でこそ意義があったのに、全てが無意味になってしまった。明日からは有給使いまくろう。


※一度遅刻したくらいでは、遅刻も休みもせず頑張っている点は変わらないにもかかわらず、1つの失敗ですべてが台無しになったと感じてしまう。

痛みを有したクライアントは「痛みで活発に動けないくらいなら、(痛み無く動けるような行為があるにも関わらず)ずっと寝ていた方がましだ」などと極端に捉えてしまいます。そうなると破滅思考に陥ってしまい「痛みが治らなければ、私の人生が再び動き始めることはない」などといった思考にも繋がるかもしれません。

 

全か無の法則では100点満点という大きな目標が達成できなければ0点で構わないという思考になってしまっていると言えます。

従って、100点という大きな目標を掲げるのではなく、60点といった低めの目標を設定できるかが重要となってきます。
あえて60点くらいに自分の目標が下げれると「100点をとらなきゃいけないと思わなくても大丈夫なんだ」と実感できるようになるかもしれません。
また、結果だけでなく、プロセスの重要性に視点を移してみることも大切です。

 

映画化もされた『書籍:学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』で有名となった塾講師の坪田信貴氏は以下のような名言を残しています。

「頑張れば出来る」という言葉は使ってはいけない。

これは「目標とする結果を達成できるかどうか」に着目しているからだ。
適切なのは「頑張れば伸びる」という言葉である。
これは「目標ではなくプロセス」に着目しているからだ。
なぜなら、「結果が出るか、出ないか(100点満点がとれるかどうか)」ではなく、「頑張った分だけ自分が成長できる」という考え、つまり頑張った分だけ(結果は出せなくとも)必ず成長は出来ている(頑張ることで100点は取れなくとも、現時点より10点でも20点でも成績は絶対に伸びる)という考えからだ。

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心のフィルター

たった一つのよくないことばかりに意識が向いてしまう思考を指します。


現実には一つくらいいいことがあるはずなのに、それらに全く目が向けられなくなります。
これは、認知バイアスの一つである注意バイアスによって起こるとされています。
注意バイアスが起こると、人からちょっと批判的な事を言われたり、否定的な出来事があると、そのことばかりがずっと気になり、肯定的な出来事があっても無視してしまいます。

状況:

会社の業績が急激に悪化し、リストラされた。
認知:

世の中にはいいことなんて一つもない(良いことも起こっているはずが、そこには注意が向きにくくなっている)。

この様な心のフィルターを改善させるためには、様々な事象に関するプラスの側面も意識することが大切になります。
「取るに足りない」と思われていることでも、よくよく注意を向けてみれば、そこから幸福を感じることができることもあるかもしれません。


例えば、痛みを有している人は、痛みに注意が向き過ぎるあまりに、他の事に注意が向きにくくなっている場合があります。

そして、痛み日記などを用いて「痛み以外のポジティブな出来事」にも注意を向けるよう訓練することで、少しずつ心のフィルター、注意バイアスが修正される可能性があるとされています。

 

 

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マイナス化思考

すべてのできごとにマイナスの解釈を加えてしまう思考を指します。


いいことがあったり、自分の中に褒められるところがあっても、それを評価せずに「たまたま調子が良かっただけ」「これくらいの事は誰も出来て当たり前」というように、マイナス材料に置き換えて考えてしまいます。
※これは、ネガティブな解釈バイアスに偏っていることによって生じるとされています。

状況:

いつもは膝の痛みのため1kmくらいしか歩けない。しかし、今日は痛み無く2kmは歩けた。
認知:
⇒歩きすぎたから明日は膝の痛みが得るかもしれない。
⇒今日は偶々歩けたが、次回歩いたらきっと痛みが出るはずだ。
⇒たった2km痛み無く歩けただけで皆が驚いているが、昔は5km以上余裕で歩けていた。それに比べると本当に情けない。

 

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結論の飛躍

根拠もないのに、自分にとって不利で、悲観的な結論を出してしまう思考を指します。


「恣意的な推論」とも呼ばれ、『心の読みすぎ』と『先読みの誤り』に分類されます。

  1. 心の読みすぎ:
    相手の心を勝手に深読みして、勝手に悲観的な結論へと結び付けてしまう。

  2. 先読みの誤り:
    根拠はないのに「運動をしたら腰痛をもっと悪化させてしまうに違いない」というように破滅的な予測を立てて、破局的思考に陥ってしまう。

 

状況:

廊下で上司とすれ違ったが、ひと言も声をかけられなかった。
認知:

こんな使えない部下とは口もききたくないと思っているんだ (心の読みすぎ)

状況:

先日、通勤中に始めてパニック発作を経験し、メンタルクリニックに通うことになった。そして今日、電車に乗っているとき、2度目の発作が起きた。
認知:

今度こそ気を失うか、頭がおかしくなってしまうに違いない。このまま死んでしまうかもしれない(先読みの誤り)。

※パニック発作についてクリニックで説明を受け、発作で死ぬことはないと分かっているのに、死ぬかもしれないと思い込んでいます。このように根拠のないマイナスを予測するのは、「結論の飛躍」です。

 

 

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拡大解釈と過小評価

自分の失敗や短所は過大に考え、成功や長所は過小評価するような思考を指します。


「他の人はみんな元気なのに、どうして私だけがこんな辛い思いをしなきゃいけないの」というように、自分だけが不幸を背負っているかのように、様々な事象をネガティブにを誇張してとらえてしまう。
一方で、成功したことや長所といったポジティブな要素を、やたらと低く見積もったりする。
結果的に自己評価が低くなり、惨めな気持ちになってしまう。

状況:

周囲の人達は悩みなく過ごすことができている。
認知:

なのに私は腰が痛いし、職場は楽しくないし、悩みだらけで不幸せだ。

※これは「となりの芝は青く感じる」という点が、更に自身の推論の誤りを助長させてしまっている例と言えるかもしれない。
※「周囲の人たちが悩みなく過ごしている」というのは単に表面的な状況(情報)に過ぎず、何の根拠が非常に弱い。

 

状況:

部下から「あなたが上司だと働きやすい」と言われた。
認知:

もっと部下の能力を引き出すことのできる人間などたくさんいる。自分なんて大したことない。

 

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感情的決めつけ

理性ではなく、感情をもとに物事を判断してしまう思考を指します。

状況:

認知行動療法の本を買ってきて読んでみたが、気分は沈んだままだ。
認知:

こんなトレーニングをやったところで、うつがよくなるわけがない。
※「どうせよくならない」と決めつけている人は少なくない。症状を改善するには、まずはこの思考に反論することが大切。

状況:

週末なのに何もする気が起きず、布団でごろごろしている。虚しい気持ちでいっぱいだ。
認知:

何か楽しく感じることも、積極的に行動したりする事も、もう二度とないだろう。

状況:

入職したばかりで知識が乏しいからリハビリの勉強をしようと思ったけど、勉強をしようと思ったら気分が落ち込む。
認知:

前もこういう気分になったし、ここまで落ち込むのだから私にリハビリ職は向いていないのだろう。

※いま、何もする気がしないのを理由に「この先もそうだ」と決めつけています。
※なにもする気が起きず、虚しい気持ちでいるのは、あくまで今の気分です。それを「今後もずっとそうに違いない」と考えるのは、感情に基づく根拠のない決めつけです。

※行動出来ないことを「やる気が出ない」「気持ちがのらない」などといいますが、行動を起こし易くする、やるきが出やすくする仕組みを作ることがポイントで、様々な方法があります。
※例えば、勉強にやる気が起きないのであれば、「やる気が起きなくともまずは行動を起こしてみて、それでもやる気が起きなければやめる」という方法もアリかもしれません。すると、重い腰さえ上がってしまえば普通にやる気が出ることも多いです(経験談)。
※あるいはブログを書いてみるのも、自分の考えをアウトプットするという意味で有効かもしれません。かくいう私も、自身の情報を整理するという意味でも「ブログを書く」という行為が活用出来ていると感じています。

※ブログを書く際に「最初から他者に読んでもらうこと前提」にしてしまうと、読んでもらえていないとモチベーションが下がってしまい易いですが、自身の勉強の一環と考えればアクセス数は気にならなくなります(そんな調子でコツコツ続けていていくと、結果としてアクセス数も伸びてくるかもしれません)。

 

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すべき思考

「~すべきだ」「~でなければならない」と強く思いこんでしまう思考を指します。


この様に思考することは、自分で考えた基準で自分を追い込み、過度のプレッシャーをかけることに繋がってしまいます。


この思考を持っている人は、「こうすべきだったのに、出来なかった」「こうすべきでなかったのに、やってしまった」という罪悪感を抱いて、自分のを責めてしまいがちです。
また、この基準を他者に当てはめると、その通りに行動しない相手に対して怒りを感じる。
これらの「すべき思考」は「物事は完璧にこなさなければならない」などの強固なスキーマ(信念)が関与している場合が多いとされています。

 

状況:

これまでずっと努力して、いい大学を出て一流企業に就職したのに、不況のあおりで会社の存続が危ぶまれている。(病院がつぶれそうだに置き換える)
認知:

他者が失業するのは分かるが、自分はエリートだから失業すべきでない(失業なんて有り得ない)。そんな事態が起こるなら人生は終わる。

※失業という事態について、「自分にだけは起こるべきではない」と、根拠もなく考えています。 また、失業する可能性を思えば、誰もが不安になるものですが、それで「人生おしまいだ」とまで感じるのは、「自分の人生は順風満帆ではなければならない」という「~すべき思考」が働いていると考えられます。

 

私の身近なケースだと、「理学療法士は、休日も患者のために勉強をすべきだ」などの「理学療法士は○○であるべき」といった思考は、その思考をバネにして自身を成長させようと思う分には良いですが、それを他者にも押しつけてしまうと、軋轢が生まれるなど良くない事も起こってきやすいのではと感じます。

 

あるいは、「理学療法士は○○であるべき」という完璧主義な思考が自身に向いてしまうことで、「自分は完璧に出来ていない。理学療法士としての理想像には程遠い。理学療法士には向いていないのではないか」などと考えてしまうこともあるかもしれません。
このケースでは、自分のポジティブな面に目を向けることが出来れば発想の転換が可能かもしれません。極論としては「自身に合ったスタイル」での理学療法の展開は存在するはずで、それは必ずしも「理学療法士は○○であるべき」という理想像からはかけ離れているかもしれませんが、その様な理想像への固執がなくなると、もっと自由に思考出来るようになるかもしれません。

※もちろん、社会人として最低限の「○○であるべき」という要素は備えておかなければいけませんが。

 

 

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一般化のしすぎ

たった一つでも良くないことがあると、すべての物事にそれを当てはめてしまい、いつも良くない結果が起こりそうだと考えてしまう思考を指します。


例えば、政治家が汚職をしているニュースを観て「政治家は全て金に汚い」と考えてしまったりするのは一般化のしすぎかもしれません。
あるいは、入院中に一人の看護師さんに優しくされて「看護師は白衣の天使だ。優しい人ばかりなのだ」と考えてしまうのも一般化のしすぎかもしれません。

 

「一般化のしすぎ」が極端になってしまった状態は、後述する『レッテル貼り』や『非難』という推論の誤りになります。

状況:

「世の中に貢献しよう」との思いからブログを始めたが、自分の記事を非難するようなコメントがなされた。
認知:

全ての人が、恐らく自分の記事を非難しているに違いない。自分が記事を書くことなど貢献になるはずがない。

 

状況:

せっかく就職したにも関わらず、職場になじめず退職することになった。
認知:

どの職場に就職したとしても、自分はなじめずに退職することになるだろう。

 

※上記の2例は、たった一度(あるいは数回の)よからぬ出来事が、一般的の起こってしまう出来事のように捉えてしまうことで生じていると言えます。

例えば、「痛みに悩んでいる人」が活動をすることで症状を悪化させてしまうと、「全ての活動」が体に悪い、痛みを増悪し得ると一般化してしまうことがあるかもしれません。

この様な場合は、理学療法士・作業療法士が「症状を悪化しうる要素」と「大丈夫な要素」を十分評価して伝えてあげると、「一般化」という推論の誤りは修正され、生活不活発から生じる疼痛の増悪・痛みの悪循環を予防することが可能となるかもしれません。

 

 

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レッテル貼り

「自分はだめな人間だ」というように、極端なレッテルを貼ってしまう思考を指します。


レッテル貼りは、前述した「一般化し過ぎ」の極端な形とも言われており、他者の欠点を一般化し、「冷たい人だ」などのレッテルを貼ってしまうこともあります。

 

状況:

あの人は、いつも無表情で笑っているのを見かけない。
認知:

きっと心の冷たい人で、自己中心的な性格に違いない。

※無表情というだけで、かなり飛躍した解釈をしてしまっている。その人のことを何も知らないのに、勝手に想像を膨らませてレッテルを貼ってしまっています。

 

 

状況:

床に落ちているものをしゃがんで取ろうと思っただけで股関節が痛む
認知:

落ちたものすら取れないなんて、私の人生は終わったも同じだ。

 

※人間は記憶のバイアスがかかっており「(客観的な機能的側面から判断して)昔痛みが10点であったが、今は5点にまで改善されていた」という事実があったとしても、昔10点の痛みがあったことは忘れて、今現在の5点の残存した痛みに執着してしまうことがあります。
そして、「ずっと5点の痛みが良くならない」と思い込んでしまっている場合があります。
この記憶のバイアスの改善のためには「痛み日記」が有効な場合があります。
痛み日記によって、

「床に落ちているものを取ろうとしただけで股関節が痛むなんて最悪だ。しかし、以前の様に胡坐をかくことによる痛みはなくなっているので、股関節の状態は少しずつ改善しているのかもしれない」

という様に記憶のバイアスを修正した状態で客観視できる可能性を持っている。そうなると、過剰な破滅思考に陥らず、痛みの悪循環を予防する効果も持っています。

また、「痛み無くしゃがんで物をとれるようになる」痛みが改善していることによるポジティブな点もほめる。そういう小項目を設定しているうちにしゃがんでも痛みが無くなるかもしません。

 

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非難

「非難」とは、問題の原因を突き止めずに、思い込みで自分を非難する(個人か)、あるいは他人を非難する(責任の押しつけ)ような思考を指します。

 

  1. 個人化:
    ネガティブな事象が起こった際に、その原因は全て自分にあると思ってしまい、自分を責める。
    自分に関係がないと分かっていることまで、自分に関連付けて考えてしまう。
    良くないことがあると、全て自分のせいのように思えて、罪悪感で自分を責めることになる。
  2. 責任の押しつけ :
    「ちっともよくならないのは、医者がダメだからだ。こんな医者にかかっている限り、治るはずがない」というように、自分の問題は棚上げして、責任のすべてを他人に転嫁する。

    ※『個人化』『責任の押しつけ』は、解釈バイアスの一つである『帰属バイアス』が関与することで生じるとされています。

状況:

息子が中学受験に失敗した
認知:

私がちゃんと面倒を見てあげなかったせいだ。息子はあんなに頑張っていたのに、私は母親失格だ。

※息子が受験に失敗した原因を息子自身に向けることも可能です。

※しかし、このケースでは帰属バイアスが「内的帰属」に陥ってしまっており、他者の失敗も自分でしょいこんでしまっているということになります。これはネガティブな出来事全て自分と関連付けている「個人化」です。

一般的に、自分を責めるにせよ、他人を責めるにせよ、その行動の裏には何らかのメリットがあると感じることが多いとされています。
ですが、結果的にはその行為によって嫌な気持ちになる訳なので、それはデメリットということになります。


例えば「人を非難するような思考」のメリットとして、「一瞬、気持ちがすっきりする」「自分が悪いのではないと思える」などのメリットがあるのかもしれません。
ですが、その様な認知から起こる行動によるデメリットとしては「相手との関係が悪くなる」「次に顔を合わせた時にバツが悪くなる」「こちらが間違った時に助けてもらえなくなる」「後味が悪くて嫌な気分になる」「体に力が入って緊張するので、自分が疲労する、痛みが増す」などが挙げられるかもしれません。

 

これらメリット・デメリットを天秤にかけると、自ずとどちらの方が良いか(建設的か)が整理できてくるかもしれません。
恐らくは、人を非難することのデメリットの方がはるかに大きいことに気が付き、自分の行動を修正し易くなると思われます。

 

番外編として、以下のような非難(個人化)も起こったりします。

状況:

セミナーで指導者から「患者に自分のエネルギーを注入していることを感じなさい」などとスピリチュアルな助言をもらった。
認知:

指導者から助言をもらったにも関わらず、エネルギーの存在すら私は感じることができない。指導者は素晴らしいことを教えてくれているのに、それを感じることができない私はだめな人間だ。

※上記の助言をもらった際に、「指導者が勝手に作り上げた思い込みではないか」と解釈することも可能です。 ですが、指導者を神格化させている場合は、ネガティブな事象は全て内的帰属に解釈し易い傾向にあります。
※これは理学療法・作業療法のセミナー以外に、新興宗教全般に言われていることです。
※関連記事
⇒『帰属のバイアス』 『抑うつ傾向な人の帰属バイアス』 『医原的プラシーボ効果

 

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終わりに

これら推論の誤りは、自分の心のフィルターである「認知バイアス」を介すことで生まれてきます。

 

そして、認知バイアスを介した「推論の誤り」は誰にでも当然起こりえます(むしろ、起こらない人など存在しないと思われます)。


そして、痛みを有するクライアントも、私たちと同様に当然ながら「推論の誤り」を有しています。

ですが、問題なのは「推論の誤りを有しているか」ではなく「推論の誤りを(当然の如く)有している自分に気づいているか」です。

 

そして、「推論の誤りに気づけた」ということは、治していくための手掛かりが見つかったということで、後は自分の思考をメタ認知していけば、自然と偏った考えを持つことは無くなっていきます。

 

同様に、自身が有している「認知バイアス」の存在を自覚することも、偏った考えを持ってしまった際の感情や行動を修正することに繋がる可能性を秘めています。

 

関連記事⇒『HP:認知バイアスとは

 

 

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